映画業界への道のり
叶井俊太郎(かない しゅんたろう)さんは、1967年9月18日に東京都で生まれました。父は経済評論家の磯崎史郎氏、妻は漫画家の倉田真由美さんです。
東京都立園芸高等学校を卒業後、放送関係の専門学校で学び、ハワイに留学。帰国後はラジオ局にADとして入社しました。その後、映画配給会社に興味を持ち、1991年に洋画配給会社ニューセレクトに入社。1994年にはグループ会社のアルバトロスに異動し、バイヤー兼宣伝担当となりました。
『アメリ』の大ヒットと独自の映画センス

映画業界でのキャリアを積む中で、叶井さんはB級ホラーや問題作を積極的に日本に紹介。その中でも特に注目されたのが、フランス映画『アメリ』の買い付けでした。2001年に日本で公開されると大ヒットし、一躍話題のプロデューサーとなりました。その後も数多くの映画を配給し、日本の映画市場に独自の貢献を果たしました。
私生活と波乱の結婚生活
叶井さんは3度の離婚を経験し、2009年に漫画家の倉田真由美さんと結婚しました。倉田さんとの結婚生活は公私ともに話題となり、2人の掛け合いはメディアでもたびたび紹介されました。

すい臓がんステージ4の宣告
2023年10月、叶井さんはすい臓がんのステージ4であることを公表しました。診断時には余命半年と宣告されていましたが、最後まで映画に対する情熱を失うことはありませんでした。
治療を拒否し、自らの闘病を公表
叶井さんは抗がん剤治療や手術を受けないという選択をし、自身の闘病生活をオープンにしました。体重が30キロも減少し、病状は厳しくなる中でも、SNSやメディアを通じて自身の状況を発信。多くの人々に勇気を与えました。
最後にタルタルソース味のファミチキを所望したそうですが、倉田さんは新作で売り切れのため普通のファミチキを買ってきたそうです。残念ながら口にすることはなかったそうです。倉田さんはもっと探せば良かったと後悔されてます。亡くなられる前日までは会話もできたそうですが、その当日は全く昏睡状態で会話をすることは叶いませんでした。

最期まで映画を愛し続けた生き様
2024年2月16日、叶井俊太郎さんは56歳で亡くなりました。彼の映画に対する愛情、独自の視点、そしてガンとの闘い方は、多くの人々に影響を与えました。昨年の「新・三茶のポルターガイスト」のプロデュースも手がけられました。
その生き様は、これからも語り継がれていくことでしょう。
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