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1.はじめに
鬼塚喜八郎(おにつか きはちろう)は、日本発のスポーツブランド「オニツカタイガー」を創業し、のちにASICS(アシックス)へと発展させた実業家である。スポーツを通じて人々の心身を健全にするという理念は、戦後日本の復興と歩みを共にしながら、現在に至るまで受け継がれている。
2.生い立ち
鬼塚喜八郎は1918年(大正7年)、鳥取県鳥取市に生まれた。自然に囲まれ、人と人とのつながりが密接な地域で育ったことは、努力や忍耐、協調を重んじる価値観の形成に大きく影響したと考えられる。青年期には第二次世界大戦を経験し、敗戦後の混乱と荒廃を目の当たりにした。この体験は、戦後の若者が心身ともに疲弊していく姿への強い危機感となり、後の事業理念の原点となった。
3.学歴
鬼塚は**鳥取師範学校(現在の鳥取大学教育学部の前身)**を卒業している。師範学校は当時、教員養成を目的とした高等教育機関であり、学力だけでなく人格形成や倫理観を重視していた。鬼塚はここで、教育の重要性や、心と身体が密接に関わるという考え方を学び、この視点は後の経営やものづくりにも強く反映されていく。
4.創業とオニツカタイガーの誕生
1949年(昭和24年)、鬼塚喜八郎は神戸で「鬼塚商会」を創業した。創業の目的は単なる事業拡大ではなく、スポーツを通じて若者の健全な成長を支え、日本社会の再建に貢献することであった。当初はバスケットボールシューズの製造から事業を開始し、競技者の意見を直接取り入れながら改良を重ねた。タコの吸盤から着想を得たソールなど、独創的な発想により高性能な製品を生み出し、「オニツカタイガー」は次第に高い評価を得るようになった。
5.世界展開とASICSへの発展
1960年代以降、オニツカタイガーは海外市場へ進出し、日本製スポーツシューズの品質の高さを世界に示した。1977年には他社との合併により社名をASICSへと改める。これはラテン語の格言
「Anima Sana In Corpore Sano(健全な身体に健全な精神が宿る)」
の頭文字から取られており、鬼塚の人生哲学と企業理念を象徴している。
6.おわりに
鬼塚喜八郎は、単なる企業経営者ではなく、スポーツを通じて人を育てようとした思想家であった。鳥取市で育ち、戦争と復興を経験した彼の価値観は、オニツカタイガーやASICSの根幹に今も息づいている。その理念は、国境を越えて多くの人々に影響を与え続けている。
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